
上町筋に面した校門を入ると正面に本館(旧館)(①₋3)の玄関入り口があった。もともとこの建物は3階建てだったが、戦災で焼け、三階部分を切り取って屋根をつけ、2階建てにしたという。玄関の手前には、掲示板(①-30)が設置されている。掲示板前を北側に向かって歩くと突き当りに「烈士の碑」(①-32)があった。
下は烈士の碑の側から、南門方向を写した写真。玄関前に設置されていた掲示板がすっかり取り払われている。
玄関を入って二階にあがると、われわれがよく授業を受けた教室がある。
①-25は、二階の渡り廊下で、左側に教室があった。窓の外に中庭が見える。校舎配置図で確認すると、この中庭から更に右つまり北側にも中庭があって、そこがバスケットコートになっていたらしい。体育の授業でバスケットボールをした記憶がうっすらとある。窓枠のところにかかっている箱は「『長江』アンケート回収箱」である。『長江』は当時の中国語の学生組織「中国語科会」の広報部が発行していた雑誌の名前である。
①-26に映っているのはおそらくB-13教室である。中国語の授業がよく行われたため、中国語学科の学生がよく利用し、ロッカーも中国語科の学生が利用していた。窓ガラスは多く割れたまま厚紙を貼ったりしており、冬は隙間風が吹き込んで、寒かった。暖房は窯の形の石油ストーブだったと思う。
M-4は、そのB-13教室の窓から俯瞰した「池のある中庭」。池の向こうで手を振っているのが、中国語学科の学生たち。彼らの背後は新館で、左方から階段を下りた地下にあったのが生協の食堂である。地下食堂入り口の手前左側に「サティア」という喫茶部もあった。新館は学長室や各語学科の研究室があった。
「池のある中庭」の西側の植え込みは、芝生が踏み荒らされ、歌声サークル「はばたき」のステージとしてよく利用されていた。(以上 写真提供:谷川毅さま)
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ずいぶん昔のことなので記憶もあいまいになっていますが、池のある中庭や地下にあった生協の食堂は覚えています。
懐かしく拝見させていただきました。ありがとうございます。