1980年頃
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2016年8月9日
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上町筋と千日前筋の交差点。北側から撮影。左に近鉄百貨店兼近鉄上本町駅の建物が見え、右側がまだ建設工事中の上本町ハイハイタウン。撮影位置から西にわたったビルのなかに、亜羅洲加という喫茶店があって、そこのドライカレーとコーヒーのセットが私の定番だった。 |
だいたい同じアングルで現在の上町筋と千日前筋の交差点を撮影してみた。角に木が植えられ、ずいぶん大きくなった。ハイハイタウンの茶色い店舗部分はすっかり木で隠れてしまった。 |
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千日前筋を渡り、近鉄前を通って、上八学舎方面に行く。近鉄会館2Fに北京料理百楽があり、中国文学の相浦先生は2限目のゼミが終わると、学生と中国人の先生を連れて、ここに移動し、ゼミの議論の続きをすることが多かった。道路は上町筋でこれを渡ったところにそびえているのは仙山閣のビルである。その1Fはパチンコ屋、2Fはロンドン亭で、昼は喫茶店、夜はパブになるので、外大生は昼も夜もこの辺りをたむろしていた。「天平の甍」の幕がかかっているのから推測すると、映画館も入っていたかも知れない。 |
百楽があった位置には、レンタルビデオの「ツタヤ」が入っていた。その奥に新歌舞伎座が難波から移ってきたため、道路沿いに幟が立っている。パチンコ屋は名前が変わり、ロンドン亭は白木屋に、仙山閣のスペースは24Hのまんが喫茶・ネットカフェに変わっていた。向かいの「やまたけ」の規模が大きくなったような気がする。学生の頃、あげたてコロッケを買って歩きながら食べたのを思い出した。 |
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仙山閣と古いアーケードの間を入って行くと、ラブホテル街であるが、その周辺にもたくさん喫茶店があって、白鳥(SWAN)、七色の珈琲MJB、聖(ひじり)といった店名が思い出される。聖は夜10時の閉店が近づくと、昆布茶を出して合図するので有名だった。ハイハイタウンが建てられたため取り壊された辺りに、北京料理南海飯店や二階建ての喫茶店トロイカがあった。写真の右端にかすかに「天地書房」の文字が見える。この店舗はたぶん現在も営業しているが、もう一つあった店舗は、ハイハイタウンの一階に新たに店舗を構えている。南海飯店もハイハイタウンに店を開いている。教育会館の方(近鉄百貨店の北向かい)に本店があったが、今は営業していないようだ。 |
旧仙山閣ビルの向こうに隣接する10階建てほどのビルが増えた。以前はコンピュータ学院があったように思うが。「やまたけ」より手前の商店街はシャッターが下りていたり、取り壊されたりしている。「天地書房」はハイハイタウン店のみになったようだ。もう少し南側にあった金物屋さんと骨董屋さんは今も健在だ。 |
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これは工事中のハイハイタウンを千日前筋の北側から撮ったもの。トロイカがあったのは、この辺りのはず。 |
左の写真より、かなり東位置から撮影したためか、ハイハイタウンの全景が入らず、近鉄百貨店とシェラトンミヤコホテルが映り込んだ。80年当時はシェラトンはまだなかったと思うが。後に植えられた道路沿いの木が随分成長した。 |
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南海飯店は、ハイハイタウン工事中府立大阪教育会館横で経営していた。ハイハイタウン完成とともに、ハイハイタウンの一階に新店舗ができたので、そちらに移転した。上の写真は、旧店舗前の電柱に新店舗の位置を説明するために設置した看板。下はハイハイタウン店入り口。外大祭の際、広告で支えていただいた。遅まきながら感謝。 |
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移転後二度上本町を訪れたことがあります。
一度目はまだ鉄条網で囲われ草が生い茂っていた時、二度目は国際交流センターが建ってからです。周りがあまりにも変わってしまって当時の面影が全くなく、外大跡地の碑があるだけでびっくりしました。
空き時間にROKOや由美ちゃんとMJB のウィンナーコーヒーをよく飲みに行きました(笑)そうそう南海飯店や養老の滝もありましたね。よくコンパしたお好み焼きのお店、なんという名前だったかしら?
養老の滝は焼き鳥だったかな。誰か同級生か先輩がバイトしてましたね。MJBは私も後輩たちとよく行った。ジュークボックスがあって、アリスの冬の稲妻ばっかり何回もかかっていた。