この写真から、移転当初は、A,B棟、図書館、大学会館、留学生寮、学生寮という陣容でスタートしたことがわかる。その後、管理棟(本部棟)、C,D,E棟、運動場北駐車場、プール、テニスコート、合宿所、巨大パラボラ、大阪外国語大学記念館、日本語日本文化教育センター棟などが次々と建てられて行った。現在、使用中止になっている宿泊所=職員会館は、写真の範囲から外れる位置なので、当初からあったのか、この写真ではわからない。右手はカラーだと緑の山なのだが、この山はその後開発整地されて、住宅街となっている。留学生寮の奥とモノレールの彩都西駅をつなぐ道路が通った。



バス停のロータリーが整備されていないのから判断して、まだ開講前の校舎を、空から撮ったのでは?
警備員室はちゃんとできていた。記憶には残っていないが、写真から判断して、間谷住宅との間の植え込みがなく、学内から間谷住宅が一望できる状態だった。間谷住宅からは工事の様子が手に取るように見えていたのかな?